“インド建築研修旅行” 顛末記 (その5)

村林俊治
 今回のインド旅行の締めくくりは、インド経済の中心地 ムンバイ(ボンベイ) である。遺跡の古代インド、エローラのベース地アウラ ンガバードから飛行機に乗り、あっと言うまのタイムスリップ。
イギリス統治時代の色濃く残る貿易都市に降り立った。
 イギリス本国でのヴィクトリア朝時代(1837−1901)、英国国教会にゴシック様式を復興させようと、建物の壁に赤いレンガと白 い石材を組み合わせたり、さまざまな色のレンガを組み合わせて幾何学的文様や立体的なパターンを作り出したり、濃厚多彩なゴ シック風のデザインが流行した。これらの 『ヴィクトリアン・ゴシック様式』 の建築は、植民地時代の 『ボンベイ』 の景観を今に伝 えている。
 ビジネスマンや旅行者の行き交う朝の出勤時間帯の喧騒のなか、壮大なヴィクトリアン・ゴシックの 『チャトラパティ・シヴァージ ー・ターミナス(ヴィクトリア駅)』 は、格調高いヨーロッパ風のデザインで大英帝国の威信を堂々と保っていた。
 ムンバイ大学図書館は、80メートルもの高さの時計塔と、ステンドガラス窓の連なる閲覧室が印象的であった。隣接した高等裁 判所では、神崎弁護士が、尖塔の上に立つ 『テミス』 を持った女神像を指差しながら 『あれが私の弁護士事務所の名前となりまし た。』 と、その由来について熱く語られた。
 展示とともに大変見ごたえのあるインド屈指の博物館の一つ、プリンス・オヴ・ウェールズ博物館は、『インド・サラセン様式』 と いわれるイスラム風の建物。この時代、イギリス人建築家がアジアの伝統的様式を模索したとき、キリスト教国のヨーロッパ風に対 してイスラム風がイメージされやすいのだろうか、明治時代日本でも、イギリスからのお雇い建築家の設計した迎賓館としての鹿鳴 館があったが、和風でもなく洋風でもない、これもまさしくインド・サラセン様式であった。

 英領インド帝国における最高級ホテル 『タージ・マハル・ホテル』 でしばしくつろいだ。飲んだ紅茶はイギリス王室の味がした。
 港町ムンバイの入り口、エレファンタ島への船の出入りするインド門の方を眺めると、広大な地域、多彩な人々、何世紀にも亘って 構築され続けた神秘なまでの宗教建築の美しさ、圧倒され続けた印象の数々がよみがえってくる。少しはインドを理解できたであろう か・・・旅の終わりにあたってインドという国の懐の深さを思い、自問自答した。
京都   2006.04.24

ムンバイの入り口 インド門 (1927年建設) タージ・マハール・ホテル (1903年建設)
テミスを持った女神像のある高等裁判所
(1879年建設)      
ムンバイ大学図書館 (1878年建設)
大英帝国の威信を保つチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅舎 外観と内観(1887年建設)
インド・サラセン様式のプリンス・オブ・ウェールズ博物館 (1914〜1937年)
貯水池の上に造られた公園の一角で(神崎氏撮影)

ムンバイの街中で・サトウキビを積んだ牛車(神崎氏撮影)

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